14.「言葉の通じない国でサッカーをすること」― それはサッカー以上の何かを教えてくれる ―

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導入|見落とされがちな問い

子どもが海外や異文化でサッカーをするとき、親が心配するのはたいてい同じようなことです。

友達はできるだろうか。学校の勉強についていけるか。チームに馴染めるだろうか。

でも、サッカーに関してひとつ、意外と見落とされている問いがあります。

「言葉のわからない国でサッカーをするということは、子どもにとって何をもたらすのか?」

ただ「海外でプレーする」というだけでなく、コーチの指示が完全には聞き取れない、チームメイトとの会話が断片的にしか理解できない、試合中の声かけにさえ一瞬戸惑う——そういう環境に身を置くことは、何を生み出すのか。

私自身、スペインやニュージーランドなど、母国語が通じない国でプレーしてきた経験があります。そこで感じたことは、予想と少し違うものでした。

たしかに簡単ではありませんでした。でも振り返ると、それは私のサッカー人生の中で最も大きな経験のひとつだったと思っています。

「海外でプレーする」と「言語の違う国でプレーする」は別の話

海外でサッカーをする経験について語るとき、多くの場合フォーカスされるのは——プレースタイルの違い、指導哲学の違い、コーチとの関係性の違いといった、文化的な側面です。それらはもちろん重要です。

でも、「言語が違う」という要素が加わると、まったく別の次元の経験になります。

たとえば10歳の子どもが、コーチが5文で説明した内容のうち2語しか聞き取れないトレーニングに参加しているとします。周りを見渡して、推測して、真似をして、とりあえずやってみる。

この経験——言語という情報の拠り所を持てない状況——は、選手の内側に何かを引き起こします。慣れ親しんだ環境では、なかなか起きないことを。

自分自身に気づいたこと①|より細かいところが見えるようになった

言語に頼れない環境に入ったとき、私が最初に感じたのは、今まで以上によく「観る」ようになったということです。

受け身に見るのではなく、するどく、本能的に。コーチのジェスチャーや立ち位置に目が向く。チームメイトの動き出しを、言葉の前に読もうとする。試合の中のパターンを、誰かに説明してもらう前に、自分で感じ取ろうとする。

言語という情報が制限されると、他の感覚が補おうとするのだと思います。

目が鍛えられる。空間認識が研ぎ澄まされる。言葉ではなく、身体と感覚でゲームを理解しようとする。

それは特定のドリルやコーチングの成果ではなく、「必要性」が強制的に注意力を変えた結果でした。

自分自身に気づいたこと②|失敗が少し、軽くなった

もうひとつ、うまく言葉にしにくいことも感じました。

日本では、ミスには一定の「重さ」があります。仲間の前で何かを間違えることには、視線や雰囲気への意識が伴います。どう見られているか、という感覚は、知らないうちにプレーに影響します。

でも言葉の通じない環境では、何かが変わりました。

ミスをしてチームメイトが何か言っても、正確には聞き取れないこともある。それが奇妙なことに、ある種の自由をもたらしました。批判を言葉として完全に受け取れない分、引きずらなくて済む。次のプレーへ切り替えやすい。

リスクを取るようになりました。日本にいるときなら迷っていたようなプレーを、試みるようになりました。無謀にではなく——でも、どこか軽さを持って。

これは私だけの経験ではないと思います。「失敗を恥じる」感覚が強い文化的背景を持つ選手にとって、言語が通じない環境は、その重さを静かに取り除いてくれることがあります。

「違い」に対してオープンになれた

言語の壁がある環境でプレーして、最も長く残ったものは、「違い」そのものに対する向き合い方の変化でした。

言葉がうまく通じないとき、素早く判断することができません。言語という近道——言葉によって分類し、比較し、結論づける能力——を使えない。だから観察するしかない。待つしかない。共通の語彙がないまま、理解しようとする。

その積み重ねが、ある種の開かれた姿勢を育てると感じました。

礼儀としてのオープンマインドではなく、訓練によって身についた本能としての——まだよくわからないから、もう少し見ていよう という態度。

サッカーの文脈でいえば、「不確かさ」と共存できるようになりました。チームメイトの動きの意図を、決めつけずに読もうとするようになった。反射的に判断するのではなく、観て、待って、感じ取る。

その姿勢は、サッカーの枠を超えて、日常の中にも浸透していったと思います。

保護者の方へ|「わからない」は弱点ではないかもしれない

この記事を読んでいる保護者の方、特に日本語を話す家庭のお子さんが英語環境のニュージーランドでサッカーをしている場合、これは直接関係する話だと思います。

お子さんはいま、不利に感じるような状況の中にいるかもしれません。コーチの言葉がすべては聞き取れない。会話に完全には入れない。練習後に「よくわからなかった」と帰ってくることもある。

でも、少し違う視点を持っていただけたらと思います。

その「ギャップを乗り越えようとする経験」は、長年の快適な環境の中のトレーニングでは得られないものを、子どもの中に育てているかもしれません。

言葉なしで状況を読む注意力。

全体像が見えなくても続ける粘り強さ。

自分とは違うバックグラウンドを持つ人と、言葉ではなく動きと意志で繋がるオープンな姿勢。

まとめ|「共通言語」は、言葉なしに経験してはじめてわかる

「サッカーは共通言語だ」という言葉をよく聞きます。

私はそれは本当だと思っています。プロのサッカー選手でも英語を話せなくても活躍している選手はたくさんいます。でも、それは自動的に言葉を超えるからではなく、言葉なしにプレーする経験を通じて、はじめて実感されるものだと思っています。

言語に頼れないとき、サッカーの本質が見えてきます。動き、意図、読み、反応、信頼。そのどれもが、共通の語彙を必要としません。

言語の壁がある環境でプレーしてきた子どもたちは、静かに、でも確かに、何かを手にしています。

ひとりのサッカー選手としてだけでなく、「違い」の中で観察し、判断を急がず、言葉の届かない場所でも繋がれる人間として。

それは、どんな練習ピッチで学んだスキルよりも、長く残るものだと私は思っています。

Glocal Footballとしてもサッカーを通して異文化を体験することを大切にしていますが、その中でも「他言語」というサッカー環境体験を促していければと考えています。

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