「正解」は、実は一つじゃない
サッカーというスポーツは世界共通のルールでプレーされます。でも、実際に日本、スペイン、ニュージーランド、オーストラリアと渡り歩いてプレーしてきて痛感したのは、「良いプレー」の定義が国によって全く違うということです。
一番わかりやすい例が、ディフェンスの考え方です。
日本でずっと教わってきたのは、「抜かれないこと」が最優先だということでした。抜かれなければ失点しない、まずはそこを固めろ、と。でも実際に海外でプレーしてみると、そこにはもう一つ大事な視点があることに気づかされました。それは「奪うこと」です。
特にスペインでは、一対一の局面よりも先に「グループとしてどう守るか」を常に考えさせられました。誰かが抜かれても、その前提でチーム全体がどうボールを奪いにいくか。個人の失敗を恐れるのではなく、チームとして獲物を狩りにいくような感覚です。
どちらが正しいか、という話ではありません。どちらも正しいんです。ただ、この違いに気づいたとき、僕は自分の中の「サッカーの常識」が、実は一つの文化の中でしか通用しない常識だったんだと気づきました。
どのチームでプレーするかで、選手人生は大きく変わる
これはもう少しシビアな話になります。
サッカーには、残酷な一面があります。それは「どのチームでプレーするか」という一つの選択が、その後の選手としての活躍の幅を大きく左右してしまうということです。
僕はこれまで、高校や大学の進路選びを間違えたばかりに、本来もっと活躍できたはずの選手が試合に出られず、そのままサッカーを辞めていく姿を何度も見てきました。実力がなかったわけじゃありません。単純に、そのチームのスタイルや考え方と合わなかった。それだけのことで、選手としての可能性が閉じてしまうことがあるんです。
これはとても残酷なことですが、同時にサッカーというスポーツの一部でもあります。
だからこそ大切なのは、どんな環境に置かれても対応できる「適応力」だと僕は考えています。自分が慣れ親しんだやり方だけが正解だと思い込んでいると、違う考え方に出会ったときに拒絶反応が出てしまう。そうではなく、違う考え方に触れたときに、まず受け入れてみる。そのうえで、自分の頭で「じゃあ自分はどうプレーするか」を考えられる選手になってほしいと思っています。
Glocal Footballで育てたいのは、まさにそういう選手です。
幼いうちから、多様な「サッカー観」に触れる意味
子どものうちから、日本・スペイン・ニュージーランドといった異なるサッカー文化に触れることには、大きな意味があると思っています。
一つの「正解」だけを教え込まれた選手は、その正解が通用しない環境に置かれたとき、対応する術を持ちません。でも、幼いころから「考え方は一つじゃない」という感覚を体で覚えている選手は、新しい環境に放り込まれても、そこで求められているものを観察し、受け入れ、自分なりに調整していくことができます。
これは戦術理解の話だけではありません。「なぜ相手はそう考えるんだろう」と想像する癖がつく、ということでもあります。この感覚は、将来どんなチームに進んでも、どんな環境に身を置いても、きっと役に立ちます。
サッカーを超えて
ここまでサッカーの話をしてきましたが、国際的な考え方を知っておくことの大切さは、サッカーに限った話ではないと思っています。
進学、就職、暮らす国、出会う人。人生の中で、自分が慣れ親しんだ「当たり前」が通用しない場面は、これからいくらでも訪れます。そのときに、違いを恐れず、まず受け入れて、自分の頭で考えて選び取れるかどうか。これは生き方そのものに関わる力です。
サッカーは、その練習をするには最高の場所だと思っています。ピッチの上で、違う背景を持つ相手やチームメイトと駆け引きする経験は、教室で学ぶ「多様性」よりもずっと身体的で、忘れにくい学びになるからです。
Glocal Footballが子どもたちに届けたいのは、勝ち負けだけではなく、こうした「自分で考え、適応していく力」です。それは、サッカー選手としてだけでなく、これからの人生を歩んでいくうえでの、大切な財産になると信じています。
