導入|日本では「当たり前」だった景色
日本でサッカーをしていた中高生の頃、僕にとっては当たり前だったことがあります。
- 真夏の練習中、水が飲めなかった(連日35度を超える中で、熱中症で倒れる選手も何人もいました)
- 9時から17時までの練習が、1週間以上続く
- トレーニングマッチの後に、2時間以上の走り込み
- 罰として、全員が坊主にさせられる
今あらためて書き出してみると、驚く方もいるかもしれません。でも当時の僕たちにとって、これは「そういうもの」でした。
海外でプレーし、今はニュージーランドで子どもたちを指導する立場になって、この「当たり前」を外から見られるようになりました。今回は、日本の中高年代に存在してきた厳しい指導について、なぜ存在するのか、何が得られて何を失うのかを、できるだけ客観的に考えてみたいと思います。
特定の指導者や学校を批判する記事ではありません。「日本の指導は全部ダメ」という話でもありません。
1|なぜ「厳しい指導」は存在するのか
理由は一つではなく、いくつかが重なっていると僕は考えています。
① 「根性論」の歴史
日本のスポーツ指導には、「苦しさに耐えること自体に価値がある」という考え方が長く根付いてきました。学校教育や部活動が、規律や忍耐を育てる場として発展してきた背景も大きいと思います。
② 「集団責任」の文化
一人のミスや違反を全員の責任として扱う文化です。全員が坊主になる罰は、まさにこの考え方の表れでした。以前の記事(10. 集団責任について)でも触れましたが、「チームで責任を負う」ことには良い面もある一方、個人が見えなくなる危うさもあります。
③ 指導者側の事情
部員数が多く、指導者が少ない環境では、「管理しやすさ」が優先されがちです。厳しいルールと上下関係は、大人数をまとめる手段として機能してしまう面があります。そして、自分自身がそう育てられた指導者が、同じ方法を次の世代に引き継いでいきます。
2|メリットとして語られること
否定ばかりでは公平ではないので、「厳しさ」の良い面として語られることも挙げます。
- 精神的なタフさ:しんどい状況でも逃げずにやり切る経験は、確かに残ります
- 規律・時間・礼儀:身についたこと自体は、社会に出てからも役立つと感じます
- 仲間との絆:同じ苦しさを共有した仲間とは、今でも深くつながっています
ただ、ここで一度立ち止まって考えたいのは、**これらは「厳しさ」だから得られたのか、それとも「厳しさ以外の方法でも得られたのか」**という点です。
3|デメリット・限界
① 安全の問題
水分補給を制限することに、スポーツ科学上の根拠はありません。脱水は集中力と判断力を落とし、熱中症のリスクを上げます。実際に日本でも、日本スポーツ協会などが暑熱環境での運動に関する指針を出し、こまめな水分補給や、危険な暑さでの運動中止を呼びかけています。
② 成長の問題
長時間・高頻度の練習と、疲労がたまった状態での走り込みは、怪我やオーバーユースのリスクを高めます。何より、疲れ切った状態では「質の高いプレー」を学べません。サッカーは判断のスポーツですが、極度の疲労の中で磨かれるのは判断力よりも「耐える力」です。
③ 「考えない選手」になるリスク
罰や恐怖が動機になると、選手の関心は「うまくなること」より「怒られないこと」に向かいます。ミスを恐れてチャレンジしなくなるのは、育成年代にとって大きな損失です。
④ 辞めてしまう選手
厳しさについていけなかった選手は、サッカーそのものを嫌いになって離れてしまうことがあります。サッカーを好きでいてほしいと思う指導者として、これが一番もったいないと感じる部分です。
4|グローバルな視点
僕が経験したスペイン、オーストラリア、ニュージーランドでは、日本とは違う景色がありました。
- 練習の長さよりも質と強度の集中が重視される
- 水分補給や休養は、「甘え」ではなくパフォーマンスの一部として扱われる
- ミスをした選手に対して、罰よりも「次どうするか」の対話が中心になる
もちろん、海外が全て優れているわけではありません。どの国にも厳しい指導者はいますし、競争は世界中どこでも厳しいものです。大事なのは、厳しさの「量」ではなく「中身」だと思っています。
最近では、ニュージーランドのサッカー環境にも馴染んできましたが、率直に言って最初にニュージーランドの育成環境をみた時は衝撃でした。言葉を選ばずに言えば「ぬるい」と。しかし、他の国も経験して思い直したことは日本が異常だったということです。
こうしたことに気がつけたのもいろんな国を経験したからこそだと感じています。
また、日本の指導環境も確実に変わってきています。暴力根絶への取り組みや、部活動のあり方の見直し、暑さへの対策など、現場では少しずつ変化が起きています。
5|僕の意見:「厳しさ」と「理不尽」は別物
僕は「厳しい指導」そのものを否定したいわけではありません。
- 高い基準を求める
- 約束や時間を守らせる
- 全力で取り組む姿勢を求める
これらは「厳しさ」であり、むしろ育成に必要なものだと思います。
一方で、
- 水を飲ませない
- 科学的根拠のない長時間練習
- 目的の見えない罰
これらは「理不尽」です。厳しさは選手を成長させるためのもの、理不尽は指導者の都合や慣習のためのもの。この違いを、指導者も保護者も選手も区別できるようになることが大切だと考えています。
判断の基準としては、次の問いが使えると思います。
「それは、選手がうまくなる・人として成長することにつながっているか?」
答えが「はい」なら、それは厳しさ。答えに詰まるなら、一度見直す価値があります。
まとめ|保護者・選手のみなさんへ
お子さんが厳しい環境にいる場合、「厳しいからダメ」「厳しいからいい」と単純に決めるのではなく、その中身を見てあげてください。
- 安全は守られているか
- お子さん自身が、サッカーを好きでい続けられているか
- 「なぜやるのか」を指導者が説明できているか
この3点が揃っていれば、厳しい環境も大きな学びの場になります。
最後に。僕は当時の経験で得たものがあるのも事実ですし、同時に「あの時間は別の形でも良かったかもしれない」とも思います。その両方を抱えたまま、今の子どもたちと向き合っています。
この記事が、日本の育成環境について考える一つのきっかけになれば嬉しいです。
