導入|「日本式サッカー」という言葉への違和感
海外でサッカーに関わっていると、ときどき「日本式サッカー」や「Japanese style training」という言葉を耳にします。
その多くは、コーンを使った細かいドリブル練習や、リフティングに代表される個人技術トレーニングを指して語られている印象があります。
ニュージーランドでも、日本人コーチとして活動していると
「日本はテクニックの国だよね」
「日本人はコーンドリブルが得意だよね」
と言われることがあります。
しかし、そうした言葉を聞くたびに、少しだけ違和感を覚えます。
それは本当に「日本式サッカー」なのか。
そして、そのイメージは正しく理解されているのか。
この記事では、いわゆる「日本式」と呼ばれがちな技術練習について、一度冷静に整理し、Glocal Footballとしての考えを言語化してみたいと思います。
いわゆる「日本式」と呼ばれる技術練習とは何か
一般的に「日本式」として語られる練習には、次のようなものがあります。
・コーンを使ったドリブル練習
・ボールタッチの回数が多い個人トレーニング
・リフティングを技術の指標のように扱う文化
日本の育成年代では、これらの練習を経験した選手が多いのは事実です。
実際に僕も、育成年代ではこのような練習を経験し、自主練習でもリフティングやコーンドリブルに明け暮れていました。
その背景には、日本特有の環境があります。
限られたスペース、フィジカルでの不利、そして学校や部活動を中心とした集団指導の文化。
その中で「個人でできること」「工夫次第で伸ばせるもの」として、技術練習が発展してきました。
ただし、ここで大切なのは、これらはあくまで“手段”として行われてきたという点です。
なぜ日本人はこれほど「リフティング」を愛するのか
この独特な練習体系の背景には、日本特有の文化的・環境的な要因が深く関わっています。
一つは、柔道や茶道、書道などに見られる「道(みち)」の文化です。
同じ動作を数千回、数万回と繰り返すことで真理に近づくという美学が、サッカーの練習にも無意識に反映されているのではないでしょうか。
もう一つは、都市部の深刻な公園事情です。
「ボール遊び禁止」「対戦形式のプレー禁止」といった制約の多い環境において、一人で静かに、狭いスペースで完結できるリフティングやコーンドリブルは、日本の子どもたちがボールと触れ合い続けるための切実な知恵でもあったのです。
技術練習は「悪」なのか?— 誤解されがちなポイント
海外では、ときにこうした技術練習が否定的に語られることがあります。
「試合に繋がらない」
「実戦では使えない」
「コーンはディフェンスをしない」
確かに、判断を伴わず・目的を失った技術練習は、試合に直結しません。
ただ繰り返すだけのドリブルや、意味を考えないリフティングは、成長を止めてしまうこともあります。
しかし問題は、技術練習そのものではありません。
問題になりやすいのは、
・なぜそれをやるのかが説明されていないこと
・試合のどの場面に繋げたいのかが共有されていないこと
技術練習が批判されるとき、その多くは「やり方」や「位置づけ」の問題であることが多いのです。
日本で技術練習が発展した本当の理由
日本のサッカーは、長い間フィジカル面で不利な立場にありました。
その中で、同じ土俵で戦うためにはどうすればいいかを考え続けてきました。
・早く判断する
・正確にボールを扱う
・相手より一瞬早く次のプレーに入る
技術練習は、そのための準備でした。
ドリブルやリフティングは「上手く見せるため」のものではなく、判断や選択肢を増やすための土台として存在していました。
本来、日本で大切にされてきたのは
「技術+認知+判断」
であり、技術だけが独立していたわけではありません。
コーンドリブル・リフティングは“試合の何を支えるのか”
コーンドリブルは、試合でそのまま再現されることはほとんどありません。
しかし、ボールを失わずに運ぶ感覚や、相手との距離感を掴む力は、確実に試合の中で生きます。
リフティングも同様です。
試合中に何十回もボールを浮かせ続ける場面はありません。
それでも、ボールタッチの感覚、集中力、ミスを修正する力は、確実にプレーの質を支えています。
「できる=上手い」ではありません。
ただし、「できないことで不利になる場面がある」のも事実です。
Glocal Footballとしての立ち位置
Glocal Footballでは、日本式トレーニングをそのまま持ち込むつもりはありません。
同時に、「日本式は時代遅れだ」と切り捨てるつもりもありません。
大切にしているのは、
・試合から逆算すること
・今いる環境に合わせて再構築すること
具体的に言うと、いわゆる日本式のトレーニングを行うにしても常に「状況判断」が伴うトレーニングに設定しています。そうすることで、技術の遂行だけでなく試合で使える判断力も鍛えることができます。
そして忘れてはならないのが、なぜそれをやるのかという「問い」です
ニュージーランドという環境の中で、
どの技術が必要で、どこまでやるべきなのか。
それを常に問い続けています。
まとめ|「日本式」ではなく「文脈のあるトレーニング」へ
「日本式」というラベル自体には、あまり意味はないのかもしれません。
大切なのは、
「なぜその練習をやるのか」
「どの局面に繋げたいのか」
技術練習を、万能な答えにも、否定すべき過去にもせず、文脈を持ったトレーニングとして捉えること。
Glocal Footballが目指しているのは、文化を理解した上で、今いる場所に最適化された育成です。

