10. 「連帯責任」という文化について考える。― 部員全員の活動停止が意味するもの ―

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導入|日本からのニュースを見て感じたこと

2026年3月、日本でひとつのニュースが話題になりました。

流通経済大学の男子サッカー部において、部員5名が大麻を使用していたことが発覚し、サッカー部全体の活動が停止となりました。流通経済大学といえば、関東大学サッカーリーグの名門で、Jリーガーも多数輩出しています。2026年の部員数は248人という大所帯です。

5名の違反に対して、248名全員が活動を停止する。

このニュースを海外で目にしたとき、あらためて「連帯責任」という概念の重さを感じました。

Yahoo!ニュース
流通経済大サッカー部「大麻使用」で活動停止…Jリーガー多数輩出の名門校、部員らの今後は?(弁護士JPニュ... 流通経済大学は3日、同大男子サッカー部の部員5人が「大麻と認識し」違法薬物を使用していたとして、謝罪会見を開いた。 同大によると、先月24日に部員が違法薬物を使用し...

ニュージーランドで育った子どもたちや、その親御さんにとって、このような対応は非常に不思議に映るかもしれません。

今回は、この「連帯責任」という文化について、さまざまな視点から考えてみたいと思います。


「連帯責任」とは何か

まず、「連帯責任」という言葉について整理しておきます。

連帯責任とは、集団の一部が問題を起こしたとき、その集団全体が責任を負う、あるいは何らかのペナルティを受けるという考え方です。

日本のスポーツ文化、特に学校の部活動や大学の体育会系クラブにおいては、この考え方が深く根付いています。

「一人がやったことは、全員の責任だ」
「仲間の行動に気づかなかったことは、管理できていなかったことだ」

こうした前提のもとで、集団全体への罰則が科されることがあります。

今回の流通経済大学のケースは、まさにその典型的な事例といえるでしょう。


連帯責任が生まれた背景

なぜ日本ではこのような文化が根付いたのでしょうか。

ひとつには、集団主義的な価値観があります。日本社会においては、個人よりも集団の調和が重視されてきた歴史があります。「みんなで決める」「みんなで動く」という文化の中では、個人の逸脱は集団そのものへの裏切りとして捉えられることがあります。

もうひとつには、部活動における「連帯感」の醸成という教育的な意図があります。チームとして共に戦うためには、互いの行動に責任を持つことが求められる。そのような考え方のもとで、連帯責任は「チームをひとつにする手段」として使われてきた側面もあります。

また、日本の学校教育における「管理責任」の文化も関係しています。教員や監督は生徒・部員の行動全般に対して責任を持つという前提があり、問題が起きたときには組織全体が「管理できていなかった」として対外的に謝罪するのが一般的です。


私が日本で経験した「連帯責任」のリアル

私自身、日本でサッカーをしていた頃、この「連帯責任」の重圧を身をもって経験してきました。今思い返すと、NZの指導者や選手たちには信じがたい光景かもしれません。

  • 「一人の忘れ物」で全員坊主: たった一人が用具を忘れただけで、チーム全員が丸刈り(坊主)にしなければならない。そこには個人の意思や事情は介在せず、「チームの規律を乱した連帯の罰」として処理されました。
  • 「一人でも遅れたら」全員やり直し: 厳しいランニングトレーニング中、誰か一人が設定タイムに届かなければ、すでに走り終えた全員がスタートラインに戻り、もう一度最初からやり直す。連帯のプレッシャーの中で、仲間を支えるというよりは、「誰かが足を引っ張るな」という恐怖心に近い感情が支配していました。

これらは当時の日本のスポーツ現場では、ある種の「美徳」や「教育」として受け入れられていた側面もありました。


連帯責任の「良い面」

連帯責任には、批判だけでなく、擁護される側面もあります。

チームとしての意識が高まる

「自分の行動がチーム全体に影響する」という感覚は、個人の自律性と責任感を育てることがあります。仲間がルールを破りそうになったとき、周囲が声をかけるという文化が生まれやすい環境でもあります。

問題の表面化を促す

連帯責任の仕組みがあることで、「誰かが問題を起こしても自分には関係ない」という空気が生まれにくくなります。結果として、問題が大きくなる前に内部で解決される可能性が高まるという見方もできます。

組織としての緊張感を保つ

特に競技スポーツの現場では、一定の緊張感と規律を保つことが結果に直結します。連帯責任は、そのための仕組みとして機能してきた一面があります。


連帯責任の「問題点」

一方で、連帯責任に対する批判も根強くあります。

関係のない人が罰せられる

今回のケースで言えば、大麻を使用していない243名の部員も活動停止となりました。本人に非がない人間が不利益を受けることは、公正さの観点から大きな問題があります。

個人の責任が曖昧になる

全員で責任を取るという仕組みは、逆に言えば「個人が責任を取らなくてもいい」状況を生み出すことがあります。問題を起こした当事者の責任感が希薄になるリスクもあるのです。

恐怖による管理になりやすい

「自分のせいで仲間に迷惑をかけてはいけない」という心理は、健全な動機づけになることもありますが、過度になれば萎縮や自己抑圧につながることもあります。「怒られるから問題を起こさない」という状態では、本当の意味での自律心は育ちません。

当事者のケアが後回しになる

組織全体の活動停止が先行することで、問題を起こした当事者への支援や教育が二次的な扱いになることがあります。今回のケースでも、大麻への依存性や支援体制について議論が及ぶより先に、組織的な対応が前面に出ました。


ニュージーランドの視点から見ると

ニュージーランドで育った子どもたちにとって、この仕組みはかなり異質に映るでしょう。

NZのスポーツ文化は、個人の責任と選択の自由を基本とします。誰かが問題を起こしたとき、その当事者が責任を取るのは当然ですが、関係のない仲間が連帯して処罰されるという感覚は、非常に理解しにくいものです。

「なぜ自分が何もしていないのに活動を止められるのか」

NZの子どもたちは、そう思うかもしれません。

また、NZにおいても「チームとしての責任感」は大切にされますが、それは自発的な連帯感から生まれるものであり、罰則として強制されるものではないという違いがあります。


サッカーの現場から考える

サッカー選手としても、コーチとしても日々子どもたちに向き合うなかで、「チームとはどうあるべきか」を常に考えています。

チームスポーツである以上、一人の行動がチーム全体に影響を与えることは事実です。仲間の行動に無関心でいることは、良いチームとは言えません。

一方で、「仲間を監視し、管理する」ことがチームの在り方ではないとも思っています。

本当に強いチームは、ルールへの恐怖ではなく、互いへの信頼と敬意によって成り立っているはずです。

連帯責任という仕組みが、恐怖による管理を生んでしまうとすれば、それはチームの本質から遠ざかっているとも言えるかもしれません。


まとめ|答えを出すことよりも、問い続けることが大切

今回のニュースは、連帯責任の是非を問うものとして話題になりましたが、この問いには簡単な答えがありません。

「集団の規律を守るために、連帯責任は必要だ」という立場もあります。

「関係のない人を巻き込む仕組みは不公正だ」という立場もあります。

どちらの意見にも、それなりの論拠があります。

大切なのは、この問いを「日本特有の文化だから仕方ない」と片づけるのでも、「欧米式が正しい」と単純に否定するのでもなく、なぜそのような文化が生まれたのかを理解した上で、改めて「何が本当に子どもたちや選手のためになるのか」を考え続けることではないでしょうか。

Glocal Footballは、日本とニュージーランドの両方の文化を知るからこそ、どちらかに偏ることなくこうした問いと向き合い続けていきたいと思っています。

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